「優しさってなーに???」
「優しさだけじゃ生きられない」そんな歌もあったよね??
「優しすぎるのもねぇぇ」そんな事も聞いたり聞かなかったり。。。
人に優しく、世の中にも優しく。。。
想いとは裏腹なことってたくさんあるけれどさ
気づけば誰かの「優しさ」に繋がっていて
ふと見渡せば「優しい」世界や日常に救われたとしたらどうかな??
自分が思ってもない事が、いつの間にか「優しさ」に繋がってる
そう思えば、世の中捨てたもんじゃない。
そんな風に捉えることってできるのかも。
東京に帰ってきて、虫の知らせのように「悲報」が届く。
自分が今、住んでいる街で仲良くなった「おじいさん」がいるんだけど
いよいよ、「身体を悪くして危ない」そんな知らせを聞いた。
それを伝えてくれた友人はひとまず13日の名古屋公演が終わるまで
「ヨースケには内緒にしておこう」と気遣ってくれてたみたい。
↑それもありがたい話だよね。公演中ならきっと混乱してたと思うから。
小雨降りしきる東京の病室からは、ぼんやり東京タワーが見えていて
よく一緒に歩いた街並みが広がる東京が見渡せる。
だいぶ、やせ細った「おじいさん」はうつらうつらとぼんやりした瞳で
そんな東京を眺めてた。
相当、覚悟して病室に入ったけれど
想像以上に、以前とは人が変わったように痩せこけた「おじいさん」は
いよいよ、その終わりが近いことを感じさせずにはいられなかった。
「おじいさん」が大好きだった、ビールをわざとテーブルの上に置いて
「さぁ、飲もうぜ」と冗談めかして言ったら「強制退室になるからやめろ」と
ようやく、いつもの「笑顔」を見せてくれた。
聞けば、内臓を5つ摘出して、食事もろくに取れないようだった。
僕らの夏が終われば、お月見の季節がやってくる。。
ここ数年は忙しくなって、お月見ができていなかったけれど
数年前はお月見の季節になると
おじいさんと二人で、近所の公園に出向いて「月を眺めながら」
お酒を傾けた。
それからは、お月見の季節が近くなると
どちらかともなく電話がかかってきて「ヨースケ月見てるか???」と
連絡を取り合うのが恒例だった。
そんな粋でロマンチックな「じぃじ」である笑
去年は、ヨースケから電話をかけたがつながらなかった。
どうやら、手術中で、そのことを「言わないでほしい」と
奥さんに念を押すように話していたらしい。。
今年は、一緒に、月が見れるかな???
ビールじぃじ、奇跡の復活待ってるぜ。
そんな風に笑って、病室を出た。
街に戻ると、示し合わせたかのように
同じ街に住む友人と出くわした。
友人は、「ツアーはどう??東京に帰ってきたの??」と
気遣ってくれた。SNSはすごいね。なんでもお見通しだ笑
僕は、「マッサージでも行こうと思って」と返した。
これは、何もいつかの話じゃなく、昨日の話さ。
現実はいつも近くにあるから、僕らは離れていたって
いつも近くで交じり合ってる。
友人は「お風呂やさんにでも行くよ」と返した。
僕が、マッサージに行き、お風呂やさんに出向くと
友人がお風呂やさんで顔馴染みの「別のおじいさん」と話をしていた。
(おじいさん多いな笑 WOWっ高齢化社会っ)
友人が「おぉぉ、来たんだ?」と僕に話すと
友人と話していた「おじいさん」を紹介してくれた。
顔馴染みとはいえ、直接会話をした事がない「おじいさん」だった。
「おじいさん」に僕は会釈をすると
おじいさんは僕を真っ直ぐ見つめて話し始めた。
友人は「えっ知り合いだったんだ??」って顔をしてた。
僕も、「キョトン」とした顔で友人に見つめ返した。
おじいさんは、話したこともない僕のことを
「あなたは優しい人だ」と話し始めた。。。
僕も「えっ???」だ
友人も「What's???」だ笑
おじいさんは、僕が、体の不自由なお友達とお風呂やさんにきて
一緒にお風呂に入ったり、車椅子の子供達を引き連れていろんな街に
出向いていたことをどうやら見ていたようで
そのことを話しているみたいだった。
僕は何も良い人だという話をしているわけじゃないよ????笑
僕は、自分の体に入っているtattoも含めて
ミュージシャンという仕事をしていることも含めて
「偏見」という見られ方に対して「向き合わざる」おえない事が多々ある。
でもそれで、僕はその人を「嫌い」になったり
世の中に対して自分から「繋がる」ことの「接点」を捨てないようにしているし
ほんのすこしの「フラット」な感覚を持つことで
世界は素敵な喜びを、人生に与えてくれたりする。
例えば、ファンの「声援」、まっすぐな「瞳」、ファンレター。
今、この瞬間、自分たちが生み出した「音楽」で感動してくれる人がいる。
この「事実」を前にしたら「偏見」なんてどうってことないよ。
それよりも
SHOW MUST GO ON!!だよ。
「さぁ、人生は長い、パーティーを続けよう」だよ。
そして、「優しさ」だ。
「優しく生きる」ということではなく
いつも誰かがどこかで君のことを見ていて
僕は僕なりに、君は君なりに
徳を積む生き方をしていく方が絶対によくって
それが「優しさ」なんかじゃなく「やりたいこと」なら尚更良いし
それが「いいこと」とは知らずに「徳を積む」ことならもっといいし
そうやって、誰かが君をきっと見てくれているから
僕らは、いつだって、誹謗や中傷、偏見や嫉妬なんかに負けずに
ほんのすこしの「優しさ」を日常に、人に、持って生きて行こう。
そんな風に思うと
僕が、闘病中の「おじいさん」と仲良くなった日のことを思い出した。
車椅子のお兄さんが街へ行くのに自力では難しいという話を聞いて
「OK!!僕と行こうよ」とその日、僕はそのお兄さんと街へ出たんだった。
ちょうど、夏のセミが鳴くこんな暑い日が続く夏で
闘病中のおじいさんが元気だったころ
「お前、夏の暑い日に偉いなっ」
突然、話しかけられたんだった。。。
「偉い???」って言葉が引っかかってさ笑
「偉いってなんやねん」っておじいさんと話したのが出会いの始まりだった。
だって言えないじゃん
これはダイエットだよって笑
じぃじ、奇跡の復活待ってるぜ!!二回目