「小説は日常があってこそ産まれるもの」
これは、今までと違う事が起こってしまい
昨日までとは何もかもが今までとは違う街の光景を見て口をついて出た
とある小説作家さんの言葉です。
「日常」があって産まれるのが小説だとしたら
「僕はすぐに言葉や小説にはしません、この光景を見た後これから少しずつ
日常の中でどんな言葉や想いが産まれるのか」というような事を淡々と話されていました。
これを一つの例え話とさせてもらって
「コラムは日常があってこそ産まれるもの」
そんな風に置き換えてみてこの一ヶ月間、つまり僕の日常から
どんな言葉が産まれるか、僕が僕自身そんな気持ちで過ごしてみました。
なので、コラムで綴る言葉を探し続けて見た一ヶ月でもあったわけです。
いやいや、大袈裟。。。笑
そんな風に思われちゃうかもしれないけれど
日々、頭の中で「こんな言葉はどうだろう」「あんな話の可笑しみはどうかな?」
とか、言葉を組み立てては、頭の中のフォルダに入れては言葉にすることはしませんでした。
いやいや、ストイックの向き合い方がズレてるよ???笑
ほんと、自分でもそう思います。苦笑
ということで
「ヨースケの2017年7月の日常の中からどんな言葉産まれるか」
実験してみようのコラムとあいなりました笑
まさに「日常をぶち破るそんな産声が生まれたばかりならば僕に後悔はない」
と大阪で高らかに歌いサカスパのツアーが終わり、この夏に向けて「一ヶ月ほど篭ってくるね」と宣言してこの一ヶ月を断片的に切り取ってみると
ライブは七夕のアストロホールの一本、それから
15本程の打ち合わせをして、パスポートを更新し、月に一度の美容院に出向き
(そこで流れてるビルボードHITSのチャンネルが好きでいつもいい音楽との出会いを求めて通ってたりもする笑)、撮影や収録をして、新しい機材をスタジオに導入し、新曲は2曲制作、楽曲は数十曲の譜面を覚え、各パートの割り振りを作り、プライベートでは去年いつかのツイートで
サカノウエヨースケ@sakanoueyosuke
ほんまにアジアに出たいなら
ちゃんともっかいワークアウトしなおしてイングリッシュだな。それといつも新鮮なミュージック。趣味とか結婚とかじゃなくてもっかいワークアウト、イングリッシュ、ミュージックたった3つの事だけに最大限時間と意識を捧げてみるよ。
公言した通りの時間を過ごして見ている。
「さぁ、出てこい、コラムにふさわしい、みずみずしい言葉たちよっ」
(出でよ、モンスター召喚の掛け声のように)
(出でよ、モンスター召喚の掛け声のように)
と、自分の意識に問いかけてみる。
それはそれは、「みずみずしい言葉がわんさか産まれるにちがいないっ!!!」
ってなもんである。
なんせ、「コラムは日常があってこそ」産まれるものだから。
時に、悔しい想いもあったろう、時に、幸せな時間もあったろう
さぁ、俺の一ヶ月、湯水のごとく、「みずみずしい貴方に捧げる言葉たち、カモン!!」
と高らかに問いかけて、小休止っ。
そして、「うっ」と頭を抱えた。
「そうだ、みずみずしさ」だ。この「みずみずしい」という自分で言い放った
言葉でまた立ち止まる。
こんな、日常を切り取って見たところで
「みずみずしさ」がなければ、元の木阿弥である。
自分の一ヶ月のスケジュールを断片的に公開したこの文字から
「みずみずしさ」は微塵も感じられないわけです。笑
「むしろ、なんか難しい話になってない???」って
自分に突っ込んでいるわけです。
なぜなら
花に水をあげないと枯れてしまうように
「キラキラした音楽」には「みずみずしい」気持ちをどこかで持ち続けなくてはいけないわけです。
それを作り続ける事がとても大事で
僕は、サロンのオフ会でも話したけれど、みんなからたっくさんみずみずしい気持ちをもらったからこそ、大阪のあの雨でスタジオで入り急遽、オフ会になった時
「キラキラ」した素敵ミュージックをみんなで作るところまで行けたわけです。
まさに「真実は小説よりも奇なり」です。笑
小説家も、音楽家も「みずみずしい言葉」、「みずみずしい音」を常に生み出し続けなければという葛藤は誰しも必ずあるわけです。
この「みずみずしさ」が足りないから「言葉」に出来なかったのだとする。
そして、この一ヶ月の間にふとした日常の中でこんな言葉をだめ押しで目にする。
とある、海外のスポーツドキュメンタリー番組を見ていて
お客さんに夢を与えるスポーツ選手の監督が放ったこの言葉
「ソーセージは好きでも、ソーセージを作る過程は好きではない」
「カァァァ、それだよ、それっ」とまた頭を抱えつつ、膝を打つ、僕の日常。笑
つまり、その応援しているスポーツ選手やスポーツの試合を見ることで
たくさん「みずみずしい」気持ちをもらっているファンがたくさんいて
それを「みずみずしい」気落ちで受け取るスポーツ選手が夢に向かって頑張る
その応援しているそのものが「ソーセージ」だとするならば
その「ソーセージを作る過程」を見たいと思う人は少ないのではないか?
と問うたわけです。
それは、監督の言葉遣いがどうとか??作法がどうとか??常識的にどうとか??
そういうことを、「私は求めていませんよ」とファンの方から監督にこの言葉を放つのです。
その監督は「強いチームを作るために」時に、強い言葉で叱咤するわけです。
それを見た一部の人が「あの監督はクビ」だと炎上していたわけです。
その時に、ファンの方が監督に「ソーセージは好きだよ(つまり貴方のチームや、貴方が感動を届けてくれる時間)、でもソーセージが出来る工程(裏側で何があって、例え批判されたとしてもその中身を説明すること)は別に好きじゃないのよ」というわけです。
日本でもこの構図よくありますよね???苦笑
そうなんです、例えば、政治的な話や、社会的なことや、まぁこれはコースケともよく話するんだけど
演劇論を熱く語り合うみたいな事であったり、そういうのをガシガシ公の場で
発言する人ってたくさんいるじゃないですか???
それって、ソーセージの作る工程の話で、ベルトコンベアに運ばれてくる
ソーセージを見て「うわぁ、このスポーツ応援しよう」「うわァ、この音楽最高っ」
「このソーセージだべたーいっ」とは、純粋になりにくくないか???そこは求めなくない??
って話なんですよね。
僕ね、スタンスの一つとして、社会的な事や、政治的な事をステージに
持ち込むこと基本、NGにしてるんです。
それが、きっと上記のような事だと思うんです。
こういう、普遍的な大きなテーマになった時
社会的なことや、政治的なことや、アーティストとは??とか、演劇とは??
みたいな話ってこういう「ソーセージ論」にすごく近いように思うんです。
声や、メロディや、歌や笑顔や、ライブ、その人の語る夢や、未来、そういうのに
応援したいなって思う時に、その「笑顔」ができる「過程」とか話しても興味あまり湧かないじゃ無いですか???
僕、「作曲講座」この前やったじゃない???
あれは、スケルトンだと思っていて
機械の中身が見える、わざとスケルトンにした箱や機械とかあるじゃ無いですか??
で、そのスケルトンから見える機械の点滅や、回路がなんか綺麗に見えたり、そんな経験ありません???夜景を見る気分に近いのかもしれません。
一つ一つの家が何をしているかは見えないけれど、その灯りが折り重なって見る
夜景は綺麗だったりして、その一軒一軒のあかりの下の生活の風景は見たいと思わないじゃないですか???
僕にとってのみんなに公開した作曲講座は、見学ツアーみたいなことで
「ここは、ベースのコーナーです」「ここはドラムのコーナー」ですって
旗をふるコンダクターみたいなもので、夜景で言うならば、「あそこに東京タワーが見えるねぇ」
「ここから見える遠くの海はちょうど千葉の方が見えますよ」と言うような感じ。
細かいことは話さないじゃないですか???
「ここから見える遠くの海はちょうど千葉の方が見えますよ」と言うような感じ。
細かいことは話さないじゃないですか???
全何十個の音が点滅して折り重なって一曲に見える夜景を見ていると考えた時に
「おぉぉ、すごく綺麗だなぁ」と思ってもらえたらOKというか
そこに、「かかった時間」だとか「難しい工程」や、「灯りの下に灯る生活の風景」はあまり
説明する必要はないと言うか、それより、この「瞬間を分かち合いましょう」なんだよね
説明する必要はないと言うか、それより、この「瞬間を分かち合いましょう」なんだよね
で、話が長くなっちゃった。。。笑
で、「この日常」の中から、「言葉」を「みずみずしく」届けようーってことで
一ヶ月、「言葉を作っては投げ、言葉を作っては投げ」を繰り返し
。。。。ジャストナウ。
「いや、そもそも、この説明いる????」笑
「つか、それ、その時間いる???」笑
「もっというなら、それをみなさまに公開する意味ある???」苦笑
「ソーセージでいうなら、ソーセージでいいのに、作り方ならまだしも、工程を延々と結局語ってない???」苦苦笑
「ちょーうけるんですけどーーーッ」(怒)
と、心の中のちっちゃいヨースケくんがギャル語でヨースケくんにいうわけです。
「確かにっ」ってことで
といきなり、ゴール間近で谷底につきおとされた様な気持ちになった7月の月末〜♪
笑笑
そして、お風呂に浸かり、安定の銭湯のぶくぶくの中で
小二時間ほど、自問自答の末
答えが出ました。
「音楽家は最高の音楽を作る事でファンのみんなに恩を返して行く」のだと
みずみずしい言葉や、それを作る工程は置いておいて
それよりも
いい作品を作るためにツアーやykフェスや、アジアライブ、いいライブを一本一本して
少しずつ、曲を成長させて、それを見たり聞いてくれたり、あぁ側に置いておきたいな
って思ってもらえる音楽というか、信用貯金をみんなにしてもらってさ
そして、それらが積み重なり、辿り着いた一枚の作品を届けられた時に
「あぁ、みずみずしいな」とあの時、「ヨースケさん色々言ってたけど」
「この作品とっても好きだよ」と思ってもらえることが一番じゃんか
応援してくれるみんなにそうやって、ちゃんと恩を返して行くのです。
それじゃんっ!!と膝を打ち、PCを閉じ、僕はギターに持ち替えるのであった。
実験の一ヶ月の検証結果
「音楽家は音楽で恩を返して行く」ことに尽きるでした❤︎