暖かい日差しが部屋一杯に差し込む。
「ついに春がキターーーーッ」そんな4月の訪れ。
春の目覚めってやつだね。。笑
1回目のコラム。
「サカノウエヨースケと劇団四季」
このテーマでお送りしていこうと思います。
僕ね、役者経験は全くといって皆無なんですが
劇団四季のプロデューサーさんから一度
「役者やりませんか??」
なるオファーを頂いたことがあるのです。笑
時は10年を遡るのですがアルバム「CALL」をリリースして
アメリカに行っちゃストリート、飛び入りライブ、フェスなどガチャガチャ
かき回しては日本に戻り、47都道府県ツアーだ、東京ドームだと
血気盛んに年間120本以上のライブをこなしていた時期があるんですが
当時は24時間、衝動(アドレナリン)が溢れていて寝ても覚めても
「表現、表現」と血走っていた時期でもあります。
自分のアンテナが響くままに生きてましたね。
「靴屋のじっちゃん」っていう曲にも残っていますが
そんな出会いと別れを繰り返す26歳、27歳でした。
また、この辺の「靴屋のじっちゃん」や僕の大好きな車
「アストンマーチン」の話なんかもここのコラムで披露しようと思いますが
この「劇団四季」この劇団は本当にすごいのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%87%E5%9B%A3%E5%9B%9B%E5%AD%A3
挨拶、礼儀、教育が徹底されていて、血気盛んなヨースケ少年は
劇団四季の稽古場所兼、事務所に招待されることになるのです。
そして、そこで目にした光景は目から鱗が落ちる事ばかりでした。
そのオファーというのも
実はこの表題にもあります「春のめざめ」という舞台でした。
当時、ブロードウェイで上演していたこの演目を劇団四季が
日本で初披露すると行った手前、キャストもゼロから集めるといった感じで
当時のプロデューサーさんが、「役者らしくない、役者」を探しているといったことから
「どこかにギラギラした、エネルギッシュな奴いねーか」とライブハウスや劇場を
毎日、梯子しては役者を探していたところ、とあるライブハウスで「うりゃー、ガシャん、どかーん、キャー」と息を吐いては血気盛んなヨースケ青年がステージの上で暴れまわっていたというわけなんです(いいのか、悪いのか苦笑)
お話の内容も思春期の少年少女が、大人へ目覚めていく段階の多感なお話で
劇団四季的にもその微妙な年代を演じるにあたってプロの役者を使うより、まさにそれを今、体現出来るアーティストを探してたみたいで、自分に声をかけてもらった時はまさに26,27歳なわけですが
「10代の焦燥と触れたら壊れそうなビー玉のような感性」そこに自分の当時
一瞬の刹那に生きるといったような価値観があったのかどうかわかりませんが
いきなり主役のオファーだったのでびっくりしたのを覚えています。
ただ、自分のプライベートも常にヒリヒリしていたので、プロデューサーさんとの
初対面も常に「ヒリヒリ」したものでした汗
そうなんです、ステージの上のスイッチが、ステージの外をおりてもスイッチをオフに
する術がわからず、ずっとスイッチオンのままだったので、チェッカーズの曲ではないですが
「触るものみな傷つけた(byギザギザハートの子守歌)」状態でしたので会話の糸口が見つからないまま、気まずいプロデューサーさんとの初対面だったのですが
その緊迫した状態を見かねたプロデューサーさんから
「一度、稽古場に来ませんか??」とのことで神奈川県は青葉台という街に
出向くのであります。
大きな稽古場、兼、ビルの中に入ると、研修生の皆さんはじめ、役者さんになられる人
または役者さん、皆さんが廊下の端を歩き、または渡り、口角を真一文字に結びながら一語一句、「おはよーございます」じゃなく「お・は・よ・う・ご・ざ・い・ま・す」と
区切るように挨拶されるのです。
まるで、言い方は割るのですがロボットのように一糸乱れぬスピートと発音で
廊下の端から「お・は・よ・う・ご・ざ・い・ま・す」と羅列される皆さんをみて
「これ、ライオンキングの主役の人もオペラ座の怪人の役者の人もみんなそうやって挨拶されるんですか??」と聞くと
「そうだ」と返ってくるわけです。
後に自分のアーティスト人生において、「教養」というものがいかに大事かというのを
知ることになるのですが、まさに「教育」という意味ではそして「挨拶」、「礼儀」という意味の人としての「教養」という意味では超一流の現場を垣間見た気がしました。
「すげーぜ、劇団四季っ」でこれがその時の本音です。
で、一生懸命イメージするんです
それまで、自我流のパフォーマンスとステージングで「うりゃ、バキッ、どりゃー、きゃー」とある意味、自然放牧で作られて来たパフォーマンスをして来た自分が
「ど・う・も・こ・ん・ば・ん・わ」
「サ・カ・ノ・ウ・エ・ヨ・ー・ス・ケ・で・す」と言えるのかと
郷に入れば郷に従えという言葉があるように
劇団四季の座組みに入るということは、こういう徹底した「劇団四季」さんが
作られたルールの中で存在意義を獲得していくことになると思うので
「ジャカジャーン」とエレキが、アコギがなり、ドラムのカウントがなり
「ど・う・も・こ・ん・ば・ん・わ」
「いや、できるかーいっ」
とその後のステージの自分が想像することができなくなり
おことわりするということになるのですが
その当時はスイッチのオフの仕方がわからなかったというのもあって
「せっかくのありがたいお話ですが僕にはこの大役を演じる自信がありません、すみませんがこのお話、お引き受けするわけにはいきません」と言いたいところが
「廊下の端を歩きながら「お・は・よ・う・ご・ざ・い・ま・す」出来るかーいっ」
と頭の中で変換作業が行われ
最終的には
「僕にはふさわしくなーーーいっ」
みたいな言い方で相手を怒らせてしまうのでした。苦笑
そりゃそうですよね、特別なアーティストなわけではないですし
その役を何度もオーディションをされて手にしたい役者さんがごまんといるわけで
その一生懸命役を得るために頑張られている方にも失礼な話ですよね。
そうやって、サカノウエヨースケは一つ一つ、人としての付き合い方を
劇団四季を通して「教養」を学ばせてもらうのでした。笑
そんな、オフレコなコラム第一回。
コミュニティ限定コラムなので「秘密」の「話」でよろしくです。
春のめざめは本当にいいお話なので
機会があればぜひ見て見て。
僕は、その後、劇場まで見に来ましたよー笑